トルコ旅その1<トルコへの道>
2021.10.31 19:57|トルコ|
久しぶりに備忘録兼ねて旅日記を書いてみようと思う。
今回はトルコのお話。
旅が始まる。
私たちは今日、プラハ発のバスでブルガリアのソフィアに向かう。
ターボルからプラハまでは電車で行くものの、電車が遅延していて少し焦っていた。
時間には余裕を持って家を出発していたのにあろうことか電車がかなり遅延している。
そんな中、更にハプニングが起こった。
プラハの主要駅であるプラハ本駅に向かっていたのだけど、その一つ手前のVršovice駅で
電車が止まり動かなくなってしまった。
5分以上停車しているが、全く動く気配がない。
すると他の乗客たちが「動かないみたい。乗り換えた方がいいかも」と教えてくれた。
まじですか・・・
そう、こんなことがあるのがチェコである。
アナウンスさえなかった。
絶対バス間に合わないよ・・・
と半泣きになりそうになりながら、ゾロゾロと電車を降りる人の波に紛れた。
ソフィア行きのバスの出発時刻まで迫っている。
ソフィア行きのバスはFlorencというプラハにある大きなバスターミナルから出発する。
プラハ本駅からFlorencは徒歩で行ける距離なので本駅からは歩く予定だった。
それがプラハ本駅にもたどり着けず急遽Vršovice駅で降りることになってしまい、
次なる電車もなかなか来そうにない。
電車が止まってしまった理由なんか今はどうでもよくて、とにかくFlorencに行かねば。
と気持ちだけが先走る。
プラハのこの辺りに来ることがない私たちは、トラムのルートなど分からない。
スマホで慌ててルートを調べてVršovice駅前からトラムに乗り込む。
トラムのチケットなんて持っていないからトラム内でカードを使いチケットを購入。
「トラム内に券売機があるのは便利だな」とこの時初めて感じた。
ただ、もしこれで間に合わなかったら洒落にならん。
と思っていたが、そんな風にあたふたする自分が面白くなってきた。
人間というものはこういう時におかしくなるものである。
なんだか笑いさえこみあげてきた。
何とかFlorenc駅に到着。
バスの出発時間の7分前くらいだった。
走った。走った。
70リットルのザック(中身はスカスカだけど)を背負いながら陸上選手並みに走った。
ものすごい形相をして走っていたと思うけど、そんなことはこの時はどうでもよかった。
ただ、間に合えばいい。
ソフィア行きのバスチケットもすでに購入済みだし(ちなみに飛行機よりも高かった)
1日1本しかないバスなので、逃したくなかった。
バスターミナルでバスが出発する場所を探す。
午前中にホンザが電話でチケットについて確認していたのでバスが出発する場所の
停留所番号は分かっていてそこにたどり着いて「ソフィア?」と聞いたらそうだ。と返事があった。
どうやらバスはまだ到着していないようだった。
バスは16:30発だったけれどプラハが始発ではなく、どうやらドイツ発のバスらしく遅れている模様。
ホッとして肩の力が抜けた。
ただ、どのくらい遅れているのか?などは全く分からないから
トイレ行ったりするのもホンザと交代で行った。
ソフィア行きということでブルガリア人もいれば、マケドニアの人などもいる。
プラハにいるのにチェコ人はホンザのみという状況だ。
マケドニアの人と話す。マケドニア人との会話は私にとって人生初だった。
あとはロマ(ジプシー)の母親とその子供であろう青年がいた。その青年は身なりは普通だったが、
母親の方は姿を見られたくないのか、頭にスカーフをまいてひとめを避けるような様子で
目を合わそうともしない。
結局17:10を過ぎた頃バスがやってきた。
荷物をバスの下のトランクに入れてバスに乗り込む。
色々とハプニングはあったが、無事に乗れてホッと一息ついた。
今回のバスチケットは前日の夜ネットで購入していた。
そう、今回の私たちの旅は元々色々とプランを練っていたわけではない。
出発の10日程前から「何となく行けそうかな?」から始まったが、
色々な大人の事情、兼ね合いがあり、
それらが全て片付いた昨日、ようやく「100%行ける!」となったので
正式に旅に出るのが決まったのは昨日なのだ。
行けることを想定して、食品などは買い足さずに冷蔵庫の中の食材でやりくりし、
洋服やバッグパックなど何となく準備はしていたけど、行けなくなることも想定して
バスのチケットなどの購入は正式に決まってからにしたので、結構バタバタだった。
何とも慌ただしいが、何とも私たちらしいとも思った。
ネットでバスチケットを購入したが、ギリギリだったからか座席番号が選択できず
チケットに記載がなかったのでホンザが気にして午前中に電話で確認していて、
座席番号などを教えてもらっていた。
私的にはこのコロナの状況でバスはガラガラだろうなと思っていたけど、なんのその。
結構乗客が乗っている。
ようやく走り始めたバスだけど、どうやらコロナの影響でトイレは使用不可。
おいおい、トイレなしって。。。道のり約20時間ですよ。
トイレなしはきついわ。
代わりに2時間~2時間半おきにトイレ休憩の為、SAに停まるそうな。
お腹が緩かったらやばかったな・・・と思うけど、私もホンザもお腹は大丈夫だった。
私たちは後ろから3番目だったか4番目くらいの席だったのだけど、周りをロマに囲まれていた。
ドイツに出稼ぎに出ているらしきロマなどがブルガリアに一時帰国と言った感じか。
チェコにもロマはそこそこいるが、ブルガリアやルーマニアはとてもロマが多いらしい。
私はロマだろうが何だろうが特に意識はしていなかったけど、
このバスの旅で見方が変わったのである。
というのもロマたちはとても騒がしい。控えめに言うと陽気。
はっきり本音を言うと「うるさい」に尽きる。
このブルガリアのソフィア行きのバスの乗客の3分の2くらいがロマだった。
「お願いだからもう少し声のボリューム落として」と頼むと、最初の1分くらいは静かになるが
その後はまた騒ぐ。耳栓をしてもうるさいのだ。耳栓の意味・・・
深夜だよ、深夜。
ドライバーはブルガリア人で、チェコ語も英語も話せなかったけど、
ブルガリア人でチェコ在住の人が偶然いてその人が通訳してくれたりした。
その人と後に結構話をすることになるのだけど、驚くことにターボルに住んでいる人だった。
夜、オーストリアのウイーンだったか忘れたけど、乗り込んできたロマの家族がいたが席がないと騒ぎ始めた。
前方に席は空いているものの、自分が予約した席がない!なんであんた座ってるのよ!
といきなり喧嘩腰で騒ぎ立てている。
バスに乗り込んでいきなり喧嘩かよ。騒いでいるのは男性ではなく女性。
調べたらオーバーブッキングだった模様。
ただ、前方に席は空いていたので「そこに座って」とドライバーが諭すものの、
「ここじゃなきゃ嫌!」とダダをこね、バスが発車できない状態である。
空席があるところに座ればいいのに、なんなんだ、この低レベルな喧嘩は。
うんざりな私たちは「ここに座る?」と声をかけた。
「そこなら座る」と言うから席を譲り、私たちは空席がある前方に行くことにした。
ホンザは「みんな、落ち着こう。俺たちが前に行くから解決だろ?」というようなことを言った。
ようやくバスが発車できるからか、前方の席の方からは拍手さえわきあがったのである。
これにて一件落着。
どちらにしても、私たちがもともといた席は周りがロマばかりで本当にうるさかったので
(耳栓してもうるさいと感じるレベル)
騒がしい後ろの席から前から2番目に移れたのはよかったのである。
私とホンザは通路を挟んで隣になった。
まだまだバスの旅は続く。
先が思いやられるわ・・・
今回はトルコのお話。
旅が始まる。
私たちは今日、プラハ発のバスでブルガリアのソフィアに向かう。
ターボルからプラハまでは電車で行くものの、電車が遅延していて少し焦っていた。
時間には余裕を持って家を出発していたのにあろうことか電車がかなり遅延している。
そんな中、更にハプニングが起こった。
プラハの主要駅であるプラハ本駅に向かっていたのだけど、その一つ手前のVršovice駅で
電車が止まり動かなくなってしまった。
5分以上停車しているが、全く動く気配がない。
すると他の乗客たちが「動かないみたい。乗り換えた方がいいかも」と教えてくれた。
まじですか・・・
そう、こんなことがあるのがチェコである。
アナウンスさえなかった。
絶対バス間に合わないよ・・・
と半泣きになりそうになりながら、ゾロゾロと電車を降りる人の波に紛れた。
ソフィア行きのバスの出発時刻まで迫っている。
ソフィア行きのバスはFlorencというプラハにある大きなバスターミナルから出発する。
プラハ本駅からFlorencは徒歩で行ける距離なので本駅からは歩く予定だった。
それがプラハ本駅にもたどり着けず急遽Vršovice駅で降りることになってしまい、
次なる電車もなかなか来そうにない。
電車が止まってしまった理由なんか今はどうでもよくて、とにかくFlorencに行かねば。
と気持ちだけが先走る。
プラハのこの辺りに来ることがない私たちは、トラムのルートなど分からない。
スマホで慌ててルートを調べてVršovice駅前からトラムに乗り込む。
トラムのチケットなんて持っていないからトラム内でカードを使いチケットを購入。
「トラム内に券売機があるのは便利だな」とこの時初めて感じた。
ただ、もしこれで間に合わなかったら洒落にならん。
と思っていたが、そんな風にあたふたする自分が面白くなってきた。
人間というものはこういう時におかしくなるものである。
なんだか笑いさえこみあげてきた。
何とかFlorenc駅に到着。
バスの出発時間の7分前くらいだった。
走った。走った。
70リットルのザック(中身はスカスカだけど)を背負いながら陸上選手並みに走った。
ものすごい形相をして走っていたと思うけど、そんなことはこの時はどうでもよかった。
ただ、間に合えばいい。
ソフィア行きのバスチケットもすでに購入済みだし(ちなみに飛行機よりも高かった)
1日1本しかないバスなので、逃したくなかった。
バスターミナルでバスが出発する場所を探す。
午前中にホンザが電話でチケットについて確認していたのでバスが出発する場所の
停留所番号は分かっていてそこにたどり着いて「ソフィア?」と聞いたらそうだ。と返事があった。
どうやらバスはまだ到着していないようだった。
バスは16:30発だったけれどプラハが始発ではなく、どうやらドイツ発のバスらしく遅れている模様。
ホッとして肩の力が抜けた。
ただ、どのくらい遅れているのか?などは全く分からないから
トイレ行ったりするのもホンザと交代で行った。
ソフィア行きということでブルガリア人もいれば、マケドニアの人などもいる。
プラハにいるのにチェコ人はホンザのみという状況だ。
マケドニアの人と話す。マケドニア人との会話は私にとって人生初だった。
あとはロマ(ジプシー)の母親とその子供であろう青年がいた。その青年は身なりは普通だったが、
母親の方は姿を見られたくないのか、頭にスカーフをまいてひとめを避けるような様子で
目を合わそうともしない。
結局17:10を過ぎた頃バスがやってきた。
荷物をバスの下のトランクに入れてバスに乗り込む。
色々とハプニングはあったが、無事に乗れてホッと一息ついた。
今回のバスチケットは前日の夜ネットで購入していた。
そう、今回の私たちの旅は元々色々とプランを練っていたわけではない。
出発の10日程前から「何となく行けそうかな?」から始まったが、
色々な大人の事情、兼ね合いがあり、
それらが全て片付いた昨日、ようやく「100%行ける!」となったので
正式に旅に出るのが決まったのは昨日なのだ。
行けることを想定して、食品などは買い足さずに冷蔵庫の中の食材でやりくりし、
洋服やバッグパックなど何となく準備はしていたけど、行けなくなることも想定して
バスのチケットなどの購入は正式に決まってからにしたので、結構バタバタだった。
何とも慌ただしいが、何とも私たちらしいとも思った。
ネットでバスチケットを購入したが、ギリギリだったからか座席番号が選択できず
チケットに記載がなかったのでホンザが気にして午前中に電話で確認していて、
座席番号などを教えてもらっていた。
私的にはこのコロナの状況でバスはガラガラだろうなと思っていたけど、なんのその。
結構乗客が乗っている。
ようやく走り始めたバスだけど、どうやらコロナの影響でトイレは使用不可。
おいおい、トイレなしって。。。道のり約20時間ですよ。
トイレなしはきついわ。
代わりに2時間~2時間半おきにトイレ休憩の為、SAに停まるそうな。
お腹が緩かったらやばかったな・・・と思うけど、私もホンザもお腹は大丈夫だった。
私たちは後ろから3番目だったか4番目くらいの席だったのだけど、周りをロマに囲まれていた。
ドイツに出稼ぎに出ているらしきロマなどがブルガリアに一時帰国と言った感じか。
チェコにもロマはそこそこいるが、ブルガリアやルーマニアはとてもロマが多いらしい。
私はロマだろうが何だろうが特に意識はしていなかったけど、
このバスの旅で見方が変わったのである。
というのもロマたちはとても騒がしい。控えめに言うと陽気。
はっきり本音を言うと「うるさい」に尽きる。
このブルガリアのソフィア行きのバスの乗客の3分の2くらいがロマだった。
「お願いだからもう少し声のボリューム落として」と頼むと、最初の1分くらいは静かになるが
その後はまた騒ぐ。耳栓をしてもうるさいのだ。耳栓の意味・・・
深夜だよ、深夜。
ドライバーはブルガリア人で、チェコ語も英語も話せなかったけど、
ブルガリア人でチェコ在住の人が偶然いてその人が通訳してくれたりした。
その人と後に結構話をすることになるのだけど、驚くことにターボルに住んでいる人だった。
夜、オーストリアのウイーンだったか忘れたけど、乗り込んできたロマの家族がいたが席がないと騒ぎ始めた。
前方に席は空いているものの、自分が予約した席がない!なんであんた座ってるのよ!
といきなり喧嘩腰で騒ぎ立てている。
バスに乗り込んでいきなり喧嘩かよ。騒いでいるのは男性ではなく女性。
調べたらオーバーブッキングだった模様。
ただ、前方に席は空いていたので「そこに座って」とドライバーが諭すものの、
「ここじゃなきゃ嫌!」とダダをこね、バスが発車できない状態である。
空席があるところに座ればいいのに、なんなんだ、この低レベルな喧嘩は。
うんざりな私たちは「ここに座る?」と声をかけた。
「そこなら座る」と言うから席を譲り、私たちは空席がある前方に行くことにした。
ホンザは「みんな、落ち着こう。俺たちが前に行くから解決だろ?」というようなことを言った。
ようやくバスが発車できるからか、前方の席の方からは拍手さえわきあがったのである。
これにて一件落着。
どちらにしても、私たちがもともといた席は周りがロマばかりで本当にうるさかったので
(耳栓してもうるさいと感じるレベル)
騒がしい後ろの席から前から2番目に移れたのはよかったのである。
私とホンザは通路を挟んで隣になった。
まだまだバスの旅は続く。
先が思いやられるわ・・・
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